川の底からこんにちは

川の底からこんにちは見る。途中、主人公のキャラがくずれるシーンがあった。今までのクールなキャラから一転、自分の思いを素直に大きな声で話しだす。でもそこがいい箇所だった。
同じ日に「サイタマノラッパー2」を見た。「川の底から」の“演説”に該当するシーンが「サイタマ」にもある。僕は、断然「川の底から」の“演説”が好き。その後の社歌や工場のおばちゃんたちとの和解につながっているから。


「サイタマ」のラップが、あらゆるものとつながろうとしていないのは、多分わざとだと思う。自分や近しい仲間だけに向けられている言葉。それで現状がよくなったりはしない。行き場のない言葉に明るい兆しはまったく見えないが、どことなく希望にも聞こえる。そういうことをやりたいのだとおもう。


すごく、よくわかる。現状を変えることのない、自分と仲間のためだけの“ライム”は、きれい事じゃない希望のようなものを描いている。
でも、好きになれない。
言いたいことをラストシーン近くで言ってすっきりしたとする。ほぼラストでは、すっきりした女の顔が映る。
でも、また同じような毎日を繰り返すうちに、元の精神状態に戻るのではないかと思ってしまった。希望のようなものが、何につながるのかが見えなかった。


それは、映画では分かりやすいキレイごとを描いてほしいと僕が思っているということなのか、違うのかを考え中。