宮本百合子『伸子』


『伸子』は金持ちのわがままなお嬢さま伸子が、佃という男と出会い結婚し、離婚するまでを描いた私小説
作者の宮本百合子は1899年に生まれた。『伸子』が書かれたのは1924年吉本隆明が生まれた年だ(翌年には三島由紀夫が生まれる)。


この小説を読み、僕がおもったことは、自分は別れた恋人のことをほとんど覚えていないんだなーということだった。もちろんちょっとは覚えてはいるけれど、いくつかのポイントで覚えていたのだ。
たとえば、その恋人と別れた理由を人に説明しようとする。その場合、いくつかのエピソードの中から、一つか二つを原因と決めて、その人と別れた理由を話していた。しかし、実際にはそれは“点”に過ぎず、そこに至るまでには他にもいくつもの細かな行き違いがあったはずだ。
この小説では、好きだった人をちょっとずつ嫌いになっていく心のうつりかわりが、たっぷりと書かれていく。


〈「私ね……考えたの。……若し結婚するなら……私は……」
佃は、打たれたように体をのばし、ぐっと両手で伸子の顔をはさんで(※)自分の前へ持ってきた。
伸子は涙でぐっしょり濡れ、上気し顫えながら、懺悔する子供のように一気に云い切った。
「あなたとでなければいや」〉


ただの恋ではなく結婚するという主人公の本気の気持ちは、何ページにもわたる紆余曲折を経て下のように変わる。


〈一人の人間として、自分が愧じ卑しむ行為をも、それが夫だというばかりに共犯者になることは、伸子には堪え難かった。〉


紆余曲折とは、その男への生理的嫌悪や親との兼ね合い、自分の生き方と結婚が両立しないといった苦悩などのこと。
それらが見事に絡まった、どうにも息苦しくて執拗な描写にもどかしくなる。気付くと、佃とさっさと別れればいいのにと、願いながらページをめくっていた。

関係がこじれている伸子の両親を訪ねた帰り、家で佃がこのように話すシーンがある。


〈「やれやれ、これでやっとすんだ。――私が死んだ母親のことを云ったら、お父さんは泣いていらしったね、お母さんは泣かれなかったが……お父さんはたしかに涙をこぼしていられた」
彼はそれを、ゆっくり思い出して、みずから後味を楽しむように云った。その特別の調子が最初伸子の注意をひき、次いで恐怖をよび起こした。〉


からしてみれば、気の重い面会が終わった後の解放感や、伸子の両親にへりくだった後味の悪さから出てしまった一言でしかなかったはずだ。露悪的なことを意味もなく、妻に言いたくなっただけだろう。
しかし言われた伸子からすれば、気味の悪い話だろうし、今後、佃のいうことを信じられなくなったとしても仕方がない言い草だ。こういったエピソードが積み重なるたび、少しずつ伸子の心が佃から離れていく。
それでも、なかなか別れようとせず往生際の悪い佃。理屈っぽくて煮え切らない態度の伸子。
そんな状態でも別れないでいるものだから、すれ違いはさらに積み重なっていくことになる。そんなもどかしさに、すっかりはまりこんでしまった。



もう1つこの小説で好きなところがある。この作者の描写が、素直で活き活きしているところだ。
自分のために書いているというか、人のことを気にしていないというか、そんな印象を受ける。

〈そして、伸子の方に、いやに心得ているという風な笑いを含んだ横眼を使った。何といやな婆!〉

文末のびっくりマークに思わず笑ってしまった。ほかにも、性格が悪いと思われることになどまるで頓着していないであろう、笑ってしまうほど意地が悪い描写がいっぱい出てきて、楽しい。